庫田叕 大禅寺参道
プロフィール
元東京芸術大学教授の洋画家庫叕は12月1日午後8時38分、肺炎のため東京都世田谷区の木下病院で死去した。享年87。明治40(1907)年2月7日、福岡県宗像郡福開町に生まれる。本名倉田哲介(くらた・てつすけ〉。大正12(1923)年宗像中学を4年で中退。翌年上京して川端画学校に入り約3年間、人体研究等を行った。昭和4(1929)年第16回二科展に倉田哲介の名で「溜池風景」「池畔風景」を初出品。同6年第18回同展に「猫と女」「白い風景」、同7年第19回同展に「三夜荘風景」を出品する。同10年師高村光太郎の推薦により青樹社で個展を開き、翌年にも青樹社で個展を開催。同12年第12回国画会展に「松」「松小品」を庫田叕の名で初出品し、同会同人となる。翌13年第2回新文展に「松と竹」で初入選し特選受賞。翌14年第3回同展には「松」を出品して再度特選となった。官展には同15年の紀元2600年奉祝展に「牡丹」、同17年第5回新文展に「龍頭」、同19年戦時特別展に「蓮」を出品した後出品せず、国画会展のほか、同14年4月求龍堂と兜屋の共同主催による三昧堂での個展、同16年求龍堂主催による資生堂での個展等、個展を中心に作品を発表。同33年国際具象派展に出品。同35年渡欧し、主にローマに滞在して同37年帰国する。同38年東京高島屋および大阪、名古屋のフォルム函廊で滞欧の成果を示す「滞イタリー展」を開催。同43年より49年まで梅原龍三郎を囲む5人の画家による臥龍会展に毎年出品する。同46年彩壺堂サロンで「石の系譜」展を開き、同年国画会を退会した。翌47年東京芸術大学油画科教授に就任。同48年同大学陳列館で旧作展を開く。同49年同大学を停年退官。同53年イタリアを再訪して翌54年日動画廊で「再訪のイタリア」をテーマとして個展を開催。同58年日本橋三越で「樹木と石と花」をテーマに個展を開いた。木、特に松のある風景を得意とし、緊密な構図と明快な色調をもつ豊かな画風を示した。