青木大乗 赤絵皿果実
赤絵皿果実 4号
日本画家 青木大乗(あおきだいじょう)は1891年(明治24年)に大阪で生まれた画家であるが、洋画だけにとどまらず水墨画や彩色画にも長けていた。
その学歴を見てみると始めに関西美術院で洋画を学んだ後に、京都絵画専門学校で日本画を習得するなど絵画に対する取り組みは広く深いものであったようである。
1937年(昭和12年)当時46歳の頃に、結城素明(ゆうきそめい)・川崎小虎(かわさきしょうこ)等日本画家と大日本美術院(一般に知られている日本美術院とは異なる)を創設し、以後15年間はここを舞台に作品を発表していった。大日本美術院が解散してからは無所属の画家となり、個展のみで作品を発表し続けた。
晩年は水墨画に新境地を見出し大胆な画面構成で耳目を集めた。
彼の作品のなかでも静物画はひときは目を奪う魅力に溢れている。どの静物画においても特徴的なのは、その背景色の深みにある。
平坦に塗り込められたものではなく、幾重にも色を重ねてあたかも虹彩が薄い紙の奥から滲み出してくるようで、その背景色を見るだけでも人を飽きさせることがない。
例えば「呉須鉢に果実」を見てみると、明るい青を基調とした背景色には他にもさまざまな色合いが重ねられており、画面左上部からは光が漏れこんで見えている。そうした背景の上に置かれた小鉢の陶質の触れば凛と音の出そうな硬質感は見事というほかない。
こうした背景色へのこだわりは掛け軸においても同様であり、作品「栗」の淡い土色の背景には栗の実の影の部分にほんのりと青を滲ませてあって絶妙である。
その上に転がっている栗のイガはやわらく描かれていて、頬ずりでもしたくなるような感覚を呼び覚ましてくれる。
今では掛け軸を下げる床の間を持つ家は少なくなったが、秋の夜長に一人これを鑑賞することができれば、故郷の土の匂いに心を温めることが出来るに違いない。
青木大乗は終生既成の団体には所属することはなく、常にアウトサイダーとして活躍した姿勢から「野武士」とまで言われたが、結果的に他の追随を許さない作風を築き上げたのである。