中川一政 柿

柿 ”リトグラフ
17/80″

1893年東京市本郷に生まれる。
1914年巽画会展に出品した作品が岸田劉生に見出されて画家を志す。
1915年草土社を結成。
1920年初の個展(油彩)を開く。
1922年 小杉放庵らと「春陽会(しゅんようかい)」設立に参加。
1931年水墨画の個展を開く。
1949年神奈川県真鶴町にアトリエを構える。
1975年文化勲章を受章。文化功労者表彰。
1986年母の故郷である石川県松任市(現白山市)に松任市立中川一政記念美術館(現 白山市立松任中川一政記念美術館)が開館。
1989年3月 真鶴町に真鶴町立中川一政美術館(設計 柳澤孝彦/第15回吉田五十八賞受賞、第33回BCS賞受賞)が開館した。
97歳と長命であったが、晩年まで創作活動を続けた。視力が衰えたため、家政婦に絵の具の色の名を大きく書かせて描く時に見分けたという。絶筆はかねてから好んで描いていたバラであった。バラを題材にした作品は判明しているだけで800点を超える。
遺した美術品コレクションが競売にかけられた際、それまで判明していなかったがゴッホの油彩画であることが判明した絵画があった。当初は落札予想価格が1万円とされていたものが、6600万円でウッドワン美術館に落札された。中川一政自身がゴッホ作であったことを知っていたかどうかは不明。
戦時中、伊豆に疎開し、その途中、真鶴に魅了された。