須田国太郎 鶴 26.6×24.0
1891年 京都市に生まれる
1913年 京都帝国大学哲学科に進学する
1916年 京都帝国大学哲学科(美学美術史専攻)を卒業
続いて大学院に進み、「絵画の理論と技巧」を研究テーマとする
1917年 関西美術院に入学、都鳥英喜らにデッサンを習う
1919年 関西美術院を退学し、外遊の途につく
ロンドン、パリを経てマドリッドに着き、以後四年間ここに居を
かまえてプラド美術館に通い、ルネッサンスやバロックの名画を模写
して絵画技法を研究する
1923年 帰国後、新しく設立された京都帝国大学美学会に参加
美学・美術史の研究や討論を行う
1925年 和歌山高等商業学校講師となり、美術工芸史を担当する
1932年 日本画家 神坂松濤の紹介と勧めで、東京銀座の資生堂画廊において
最初の個展を開催
1934年 独立美術協会の会員となる
以後は同会の展覧会を拠点に数多くの名作を発表し、高く評価される
1947年 日本芸術院会員に任命される
1961年 肝性昏睡のため京都大学付属病院で歿す(享年70歳)